スマホ版 thought | 遠天ノヰロヲゼ。

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

Posted by スポンサードリンク at | - | -

脳味噌シアタァ

思い出に生かされている、的な表現は割と一般的なものだけど、文字通り「思い出に生かされている」と云う現象はあると思う。
思い出を支えに生きていける、ってニュアンスじゃなくて「思い出に守られてるから殺されずに済んでる」って意味で。

例えば幽白の躯が小さい頃に痴皇に可愛がられた偽の記憶を復讐防止装置として刷り込まれたのが機能して痴皇を殺せなかったみたいに。
その記憶が偽であるか本当だったかは関係無く、過去の思い出が殺意を食い止めてるって例はきっと相当数あると思う。

何故生きる。とか最近無駄に考えがち。ただ生きてるだけでも意味はあるのか。
野に咲く花と人間は違う。

Posted by 遠里 at 16:32 | thought | comments(0)

いつからそれが幸せなのだと勘違いしていた?

樹木希林が出てる「死ぬ時ぐらい好きにさせてよ」って終活の広告が話題だそうで。オフィーリアのパロディの。
延命治療の拒否みたいに条件や方法が限定的ではあるにせよ、医療に於いて自分の死を選択できるのはとても良いことだと思うです。終活とは違う気がするけど。
死ねないのが不幸な場合だってきっとある。

人間には治療を拒否して死を選択する権利がある。
人間に飼われる存在として生まれた動物、特にペットにはそれが無いに等しい。
自殺を考えるのは人間だけだと云うのが本当なら、ペットはそんな権利を必要としてないのかも知れないけど。

「可哀想」で自然淘汰すらねじ曲げられるのは平和と豊かさの象徴なのかも知れない。
人間も動物も何が幸せなんだろうなぁ。動物の気持ちは解らないけど何か人間やってるのが嫌になる(´−`)

Posted by 遠里 at 23:47 | thought | comments(0)

あなたが好き あなたが好き 死ぬまでそばにいてあげるよ

谷山浩子はメルヘンに怖いけど「あたしの恋人」はヤンデレ的な怖さ。「窓」とか好き。

恋人が浮気をした時に男性は恋人を、女性は恋人の浮気相手を殺してしまうことが多いって話を昔どこかで見たことがある。
男性は自分を裏切った恋人が許せないから、女性は自分から恋人を奪ってしまう浮気相手が許せないからだとか何とか。
だから浮気相手を殺せば恋人は自分のところに戻ってくる、って理屈だそうだけど思考がナチュラルに歪んでるよなぁと思うです。でも解らなくはない。
私は自殺と云う第3の選択肢を選ぶ。かも知れない。

好きなひとに殺されたい、って云うのは凄くある。
そうすれば好きなひとの人生は自分のものになる。
自分を殺したと云う事実(敢えて罪とは書かない)を一生背負って生きなければならないから。
って確か何年か前にも書いたことある。

殺すって行為はある意味どんな関係よりも強く他人同士を結び付けるんじゃないかなぁと思う。
友達も恋人も夫婦も気持ちが無くなれば他人に戻る。付き合ってた事実は消えないけど無関係に戻ることはできる。
でも「殺した人と殺された人」って関係は何があろうが絶対に消えない。
再生不可能な命を奪うと云う最も重大な侵害行為があった以上、どれだけ時間が経とうが時効が成立しようが忘れようが2度と無関係な他人同士には戻れない。
まさに呪縛だと思う。たとえ殺された側が一切相手を恨んでいないとしても、寧ろ望んでいたとしても。

だから心中は愛が成就する究極の形なんじゃないかなぁとか思ったり。
2人がぐっちゃぐちゃになって肉片が混じり合って物理的にもひとつになる飛び降りとか飛び込みとか最高じゃねぇの。
ジェネ様の絶対天使領域の歌詞の解説でなるほど!って思ったんだけど。


何か話ずれたってかよく解らなくなった_(:3 」∠)_
それ以前に最初こんなこと書くつもりじゃなかったんだけどな_(:3 」∠)_
「あたしの恋人」は元パイロットの恋人が飛行機の墜落事故で半身不随+トラウマを負って、もうこのひとは心身共に自分無しでは生きられなくなったって安心してるって解釈で合ってるよね?

Posted by 遠里 at 23:41 | thought | comments(0)

神様仏様

東照宮が経営難をどうにかする為に墓地を始めます的な記事を先日見て、そう云えば神社にはお墓って無いよなぁと今更思って何か凄くびっくりした。
神道は死を穢れとするから神社には墓地が無いと。
大多数が結婚式は(教会を除けば)神式でお葬式は仏式って云うのも日本の面白いところだと思う。
でも仏教では死ぬ=仏になることだから死は穢れではない筈なのに、香典返しにお清めの塩が付いてるのは何か矛盾してるよね。
って思ったらあれは葬儀会社が勝手に付けてるだけらしい。神道と混ざってるのか。

前から神社には入りやすくてお寺には入りづらさがあるんだけど、雰囲気がオープンかどうかって云うのはかなりあると思う。
お寺は何か塀でがっちり囲まれてて門があるから閉鎖的なイメージがある。
神社には塀は無いか石の柵?みたいなのや生垣とか木立でやんわり区切られてるだけのとこが多いし門と違って鳥居には扉が無いし。
お寺には仏像があるから何か睨まれてる、見張られてるみたいな感じで居づらいって云うのもある。
神社に居るのは狛犬か狐ぐらいだし。
って云うかお寺には大体お坊さんが居るけど神社は小さいとこだとほぼ無人だし。

けど、それに加えてお墓の有無って云うのも無意識のうちにあるのかも知れないなぁと今回。
幽霊的な意味で怖いって云うのを抜きにしても、墓地には無数の他人の存在があると云うか他人の領地だから気軽に立ち入るのは憚られる感じ。
あと仏教は戒律とかが厳しいけど神道は何でもかんでもが神様だから何でもウェルカムな大らかさがある気がする。

そう云えば「神社にはお墓が無いし骨も無いから好きだった」的なのが京極の狂骨にあった気がするなぁ。
と、本棚を見て何故かバンギャルアゴーゴーを読み始めてしまって鬱ってる今。
これ読むのは最早自傷行為だよねって思いながら読んでは鬱るからやっぱり自傷行為。

Posted by 遠里 at 22:56 | thought | comments(0)

引っこ抜かれてあなただけについていく。

結局バンドマンにとってファンは売り上げなり動員なりの数字でしかないんだろうなぁと思ってしまう某EAST解散脅迫。
そんなことはばんがるになって割と早い段階で悟ったし、私みたいな駄目なファンなんかには数字としての価値しか無いのも解ってるけど。

メジャーと云うかドームやアリーナ即完クラスのアーティストの方がファンを大切にしてるって感じるのは、その規模にもなると最早数字を気にする必要が無くなるからじゃないかなぁと思った。余裕があると云うか。
中途半端に数字が把握できる規模だとどうしても気にせざるを得ないから。

SHOXX立ち読みしてたらまたばんがるノリを完全否定されてて悲しくなった。

ばんがるなんかバンドのことがどんなに好きで心から応援しててもバンドマンには内心気持ち悪がられて馬鹿にされて嫌われてる生き物だもの。
ばんがるってか女だからそうなんだろうな、他ジャンルの男ファンも女のファンを馬鹿にして見下してる人ばっかりな印象。
だから女ファンが大半なびづある系は当然の様に馬鹿にされるし見下されるし、びづある系バンドマンもそれを嫌がってばんがるノリを嫌うんだろうな。

それでも好きだからついていく。
ばんがるはピクミンの様だ。


ばんがるコンプレックスな被害妄想。

Posted by 遠里 at 22:46 | thought | comments(0)

発達とはなんぞや

ぽりさんが貧乳派だと昨日初めて知って救世主-メシア-がここにも1人…!ってなった。
んだけど、生物的な面で考えたら貧乳好きな男性は雄として駄目なんじゃねぇかな…とか心配になるの巻。
男に巨乳好きが多いのは元々は本能に基づいてるんだろうし。でかい乳は沢山子供を産んで育てられるであろう雌の特徴だから。
背が高い人や美人がモテるのだって元を辿ればより良い子孫を残す為の本能なんだろうし。
だからそれとは逆の嗜好を持つ人は「子孫を残す」って生物の本能に照らしたら少し問題があるんじゃないかな…と。
逆にそう云う本能的な部分に逆らって恋(に限らず色々な行動)をする人間は凄い生物なのかしら。とか。
つまり貧乳派は非常に崇高で素晴らしい人間。うむ。

あと「子供が欲しい」と云うのは物欲(感情)の一種なのか性欲(本能)の範疇なのか、とか。
子供が欲しいと思ったことは1ミリも無いけど子供の発達の過程、特に言葉を覚えて喋る様になるプロセスには非常に興味がある。
物を認識して、それがどう云うものなのかを理解して、その名称を認識して、物と性質と名称とを結び付ける様になる過程。
ヘレン・ケラーが「水」を初めて認識した時みたいな。
そして、自分の感情を状態として理解・分類して「嬉しい」「悲しい」「悔しい」「切ない」みたいに形容詞として一致させていく過程。
更に両親が国際結婚だったら所謂バイリンガルになるんだろうけど、子供は2ヶ国語をどうやって同時に習得していくのかとか。

生まれた時から重度の障害で喋れないし体も動かせないから当然の様に知的障害もあると思われてたけど、実は知能には問題が無い人も少なくないって記事を読んだのもある。
だから周りの人が話してることも普通に理解できてるし、言葉を発する手段(筆談とかまばたきで操作できるパソコンとか)を与えられたら実は年相応の会話が可能だった、と。
特にそう云う重度障害者向けの支援学級とかでは難しい教育はしてないと思うんだけど、その環境からどうやって言葉を覚えたり年齢相応の知能が発達していくんだろうとか。

そして最終的には「環境による子供の身体能力の発達の限界」が知りたい。
例えば昔インドであった、森で狼に育てられたアマラとカマラみたいな。
発見された時は行動も声も完全に狼だったけど保護されてから教育されて人間に戻った話。
人間は二足歩行する体にできてるけど、生まれてからずっと人間社会から隔離されて狼に育てられたら四つ足で狼並みのスピードで走ったり跳んだりできる様になるのか。
人間の歯は獲物を咬み殺して肉を食い千切るには向かない形だと思うけど、狼の生活をしてたら顎や歯の形もそれに適した形に変化するのか。
七つの海のティコのナナミは赤ちゃんの頃からプールで育ったから、水中で5分ぐらい息が保つし相当深い所まで潜れる様になったって設定だったけどそれは実際に可能なのか。


ただぽりさんと公Dと叫様は救世主-メシア-だって云いたかっただけなんだけども_(:3 」∠)_

子供の夢の「お嫁さんになりたい」って云うのは単に「ウエディングドレスを着たい」だよね。多分。

Posted by 遠里 at 22:02 | thought | comments(0)

進化/変化とは何ぞや

自分たちのファン=バンギャを凄く愛して大切にしてくれるバンドマンが居て。
「初めて聴く曲でも瞬時にその曲のカラーを捉えて即座に対応できるバンギャさんたちの能力は素晴らしい」とか、「ライブでのバンギャルちゃんの表現力はどのジャンルのファンにも負けない」って褒めてくれるバンドマンが居て。
バンギャノリを馬鹿にする奴が居るけど俺はこのノリが好きだ、って云ってくれるバンドマンが居て。

ムックのIMPの後に逹瑯がツイってた「今一番うらやましいお客さんを持ってるのはMUCCなんじゃないかと」って浅井さんからのメールと、浅井さんの「V系バンドの理想的な進化形の一つを見た」ってツイを見て。
先日のギルガメのライブを観て。

折り込みに入ってたガゼのフライヤーのツアー日程を見ながら、ガゼは初期とは随分変わったとは云えこの規模になっても脱Vするでもなく今だにしっかりヴィジュアル系のままなんだよなぁって改めて思った。
ライブに行ったことが無いから解らないけど、多分ノリも昔ながらのヴィジュアル系暴れバンドのままなんだろうなぁって。

ヴィジュアル系バンドの理想的な進化形のひとつがムックなら、別の理想的な進化形のひとつはきっとガゼなんじゃないかなぁと思う。


ヴィジュアル系バンドマンたちはいつまでヴィジュアル系であることを誇りに思って、バンギャを愛して、バンギャノリを好きだと云ってくれるんだろう。

って云う半ば被害妄想的なバンギャルコンプレックス。
変わり続ける強さと変わらずに居続ける強さとはきっと優劣ではないんだろうけど。

Posted by 遠里 at 22:46 | thought | comments(0)

知りたがり症候群

どこかの国では被害者の遺族が加害者に被害者がされたのと同じ方法で報復する権利を与える法律があるとか無いとか聞いた。
もうそれ認めちゃえばいいよねって思う。過度な行為がない様に役人の立ち会いの元で。
って思ったけど役人のトラウマ半端無いことになるよね。
で、遺族も一時は気が済むかも知れないけど報復したところで被害者は生き返らないし虚しいし結局は余計に傷付くだけなんだろうな。
自分も加害者と同じことをしたことになるし今度は報復された加害者の遺族が自分と同じ様な思いをするんだろうし。
そう云う救いの無い無限ループに陥ると秩序が崩壊するから日本では私刑や自救行為を認めず司法に委ねることになってるんだっけか。
目には目をでは解決しないから誰かが我慢しないと連鎖が終わらない不公平。

事件報道は何の為にあるんだろうな。
例えば政治経済や国際ネタは選挙や外交や国の行く末にも関わってくるし、観光やグルメの情報は役に立つしテロなんかのニュースなら団体に対する注意喚起にもなる。
でも殺人事件の被害者や加害者の名前や顔写真や生い立ちが情報として必要かどうかと云えば知らなくても全く生活に不都合は無いと思う。
もう事件報道は一種の娯楽なんだろうなぁ、と。
ワイドショーや週刊誌なんか完全に娯楽だもの、ちょっと話題性のある事件や事故は芸能人のゴシップと同じ扱いだし。
加害者が未成年で実名や顔写真が公表されない場合なんか皆こぞって特定しては広めたがるし。
報道が社会的な制裁の役割もある程度果たしてるんだとは思うけど、現代はネットの普及で一般人もそれに荷担できることが市民による司法外の報復になっちゃってるよなって。
それも大多数が被害者とは関係の無い人々による、正義感ではなく云わば面白半分で無責任な。
だから全く無関係な人が間違って例えばツイッターで晒されたりしても拡散した人たちは責任には問われないってかまず不可能だし。
そう云う事態をなるべく防ぐ為に自救行為を禁止して制裁を司法に委ねてる訳で。

自分がされて嫌なことは人にもするな、と云うのが子供への倫理教育の1番分かりやすい理屈だと思うけど、何か考え方の多様化とかでそれも通用しなくなってきてるんだろうなぁと。
常識って云う概念そのものが通じなくなってきてると云うか。
100人居たら99人がAって答えるところで、BならまだしもCって答える人って居るからな。
それも天邪鬼でそう答えてる訳じゃなくて本気でそれが正しいと何の疑いも無く信じてるパターン。
原爆の悲惨さを伝える為に作られた映画を観て逆に「自分もこんなことをしてみたい」って思って大量虐殺兵器の開発を志す様になる子供が居る可能性も大いにあるんだよな、と思うと何だかなぁ。

小学生の時に「自分が泣いてる時に友達に放って帰られたら嫌でしょ!」って担任に怒られて「嫌じゃないです」って素で答えたら担任が言葉に詰まったことをふと思い出した。放っといて欲しい派。
マラソンとかで応援されると逆にやる気が失せる派。

取り敢えず加害者は被害者と同じ目に遭えばいいと思うです、って話。

Posted by 遠里 at 21:10 | thought | comments(0)

キミは羊 クローンの子羊

障害がある子を持つ親の中には自分たちが死んだ後もその子の面倒を見てくれる様にと弟や妹を作る人も居る、と云う話を母親に聞いた。
例えば幼い我が子が病気で骨髄移植が必要だと判ったとする。
でも自分たち両親も家族も型が合わず赤の他人であるドナーと適合する確率はとても低い。
ならば兄弟なら25%あると云う適合率に賭けて今からもう1人子供を作ると云う選択は是か非か。
移植できる年齢とかが現実的かどうかは置いといて。

カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」って要はそんな感じの話なんじゃないかと映画や原作の宣伝文を見て勝手に思ってた。
金持ちとか要人に何かがあった時に臓器を提供する為に育てられてる子供たち的な。
観てないし読んでないから内容知らないんだけど。

似た様な話をクローン羊が話題になった頃に考えてた。
クローン人間ができたとして彼らに人権はあるのかとか議論されてた様な覚えがあるから。
全く同じ遺伝子を持つクローンなら移植の時に拒絶反応も出ない筈だから万一の時の為に金持ちが自分の子供の(もしくは自分の)クローンを作って密かに育てておく、しかしクローンがそれに逆らって本人を殺して自分がなり代わる的な。ありがち。

子供を助ける為・面倒を見させるにもう1人子供を生むことと、家計を守る為・家を継がせる為に子供を生むこととに大差はあるか。
生まれる前から絶対的な存在理由が決められているのは幸せか。



今年は骨髄バンクに登録しようと思ってて何となく考え付いただけ。

Posted by 遠里 at 23:31 | thought | comments(0)

ファンの役目とは何ぞや

全部気付いてても知らない振りで騙されてあげる(上からな表現になるけど)のもひとつの愛だ、と云うのが何年か前から持論。
と、思い出したのは最近またバンド関係で思うことが無駄に増えてまた考え込んでるから。

ひとつは解散の件で久々に見た手鞠さんのブログの「解散が決まってから発表するまでの間は皆に嘘を吐き続けなきゃいけないのが1番つらい」みたいなニュアンスの言葉。
ファンはたとえその嘘に気付いてたとしても何も知らない振りでいつも通り楽しんでる方がメンバーは救われるんだろうか、と。
3日後には解散が発表されるって知ってても「これからもずっと俺たちについてこいよ!」って言葉に笑顔で拳をあげて応えることがファンの思いやりなのか。
例えば去年解散した某バンドの時は常連の人たちは発表される前から薄々察してたみたいで。
その頃は私はライブに行かなくなってたから解らないんだけど、勘付いてから発表までの間どんな気持ちで全通し続けて毎回最前で暴れてたんだろう、出待ちしてどんな風に話してたんだろう、とか。

たとえどんな状況であれバンドがファンを楽しませようとしてるなら、ファンは何も考えずに楽しむのが1番バンドの為になるのか、的なアレ。
本当はろくに食事もできてないぐらい経済的に厳しくてフラフラだけど、ステージでは格好良けてビシッと決めてるんだからファンはバンドの裏側なんて知らずに無邪気にライブを楽しんだ方がメンバーは報われるのか、的な。
もう6〜7年前になるのかな?終演後に何か今日はメンバーの様子が変だったよねって話が出て、実はライブ中に怪我しちゃってたってことが分かって。
でも私はそれに全く気付かずに普通に楽しんでて、それが何か凄く申し訳無くて自己嫌悪に陥ったことがあった。
その時に「メンバーは怪我したことをファンに気付かせずに楽しませようとしてたんだから、いつも通り楽しめてたってことはメンバーの思いを汲めてたんだ」って云われて少し楽になったことがあった。のを思い出す。
Velo脱退の時だったかなぁ、人見がライブ前に「悲しくても笑えよ」みたいなことをブログに書いたことも。

本当は血が繋がってないことをずっと隠し続けてた母親が「実は私は本当のお母さんじゃないの」って子供に告白して、でも子供は「ずっと前から知ってたよ、でも私のお母さんはあなただよ」って返すみたいな。
適切な例が思い付かないけど多分こんな感じ。
相手が自分のことを思って嘘を吐くなら、それを信じた振りをして騙されてあげるのが愛かなって。
嘘に嘘を返すことでフェアな関係になる。どっちも悪い、お互い様と云うか。
嘘も最後まで吐き通せば本当になるからその為に黙って勝手に共犯者になると云うか。
騙し愛とでも表現するべきかね。

解散ライブでバンドはファンに何を望むんだろう、とずっと考えてる。
今までのどのライブよりも最高に楽しんで笑顔を見せて欲しいのか、別れを惜しんで泣いて欲しいのか。
って云う様なことをコンパクトに畳んで収めてShun様にぶん投げたらブログで真面目に答えてくださったのがWillの頃。
まじ痛いわー_(:3 」∠)_

私が見聞きしてきたのは楽しんで欲しい、笑って欲しいってバンドばっかりだな。
実際自分が行った解散ライブでは泣いたことない。
始まる前はぐるぐる考え込んでても始まってしまえば何か拍子抜けするぐらい普通に楽しんでしまってた。
それが正解なのかなって思いたい。な。
私みたいな生温いファンじゃなくてずっと必死で応援し続けてきたファンはそうじゃないのかも知れないけど。
そもそもそんなのバンドの希望に合わせるべきものでも合わせられる様なものでもないけども。
バンド側の思いを理解してちゃんと汲める、向こうが望む通りの反応を返せるファンで在りたいと思うけど、そんなことを考える時点で既に歪んでるんだろうな。

アンカフェの「理解はいらない共感してくれ」って歌詞がきっと正解なんじゃないかなぁと思うです。


何云ってるか解んなくなってきたけど私は勘の良い騙され上手になりたいなぁって。
まぁ心配しなくても単純バカだからそもそも何ひとつ気付けないよねっつう_(:3 」∠)_

Posted by 遠里 at 21:17 | thought | comments(0)

Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< May 2017 >>